「偏っている」は偏っている

ちょっと前に2017年になったかと思えば、もう1ヶ月も経ちました。

 

今年は昨年よりも様々なことに挑戦したいと思っています。

 

酉年だけに飛躍の年となるように……

コレ、使い古されてそうですね。

 

 

 

そういえば、少し前にアメリカではトランプ政権が発足しましたね。

 

みなさんも知っているとおり、過激な発言が多い何かと話題の人です。

 

支持者の中にはオルタナ右翼と呼ばれる新しい保守主義の人々がいます。

 

 

私たちは特定の性質やイデオロギー集団に対してよく命名します。そしてそのカテゴライズされ生まれた名前を好み、多用します。

 

オルタナ右翼もその一種ですね。

 

日本のインターネットにもネトウヨとかパヨクとかって目にすることがありますよね。

 

これは政治的なことに限りません。

 

リア充とかメンヘラとかも該当します。

 

これは当然のことだと思います。

人は言葉を使って思考するのですから、言葉をつけなければなにも考えられません。

語彙の少ない言語をもつ民族と語彙が多様な言語をもつ民族が2つ存在したとすれば、繁栄するのは後者でしょう。

 

 

 

そんな風潮の中でよく耳にするのが

 

 

「あいつは○○だから○○だよ。」

 

という言葉です。

 

例えば、

 

「あいつは韓国が嫌いだしネトウヨだよ。」

「あいつはデモなんかにいってるし左翼だから偏っているよ。」

 

といったことです。

 

 

 

でもそれは正しいのでしょうか?

デモに行くのは意見を示すため。それだけです。韓国が嫌いなのもなにかしら理由があるのかもしれません。

 

何にでもカテゴライズしてしまう人々は簡単に判断をしてしまいがちなのです。

それは問題の本質を見失ったり、人に間違った印象を持ってしまったりします。

 

安保法案に対するデモに行っている人だってアベノミクスには賛成している人もいるかもしれません。

 

 

そして、極端にカテゴライズされた人々は更に極端な見方をされます。

 

「あいつは左翼だから偏っている。」

「デモに行っている人なんて偏っている奴かプロ市民だ。」

 

なんていう風に自分と違うものを更に遠い存在にしてしまうのです。

 

 

自分を”中立”にして。

 

 

そもそも中立なんてものは存在し得ません。

 

 

原発問題を例にすると、

原発をどうするのが”中立”と言えるのでしょうか。稼働するのが中立?廃炉にするのが中立?

 

 

結局、中立など存在せず、意見がないことが中立とされているのです。

 

 

現代の社会の諸問題は複雑であり、解決には一つ一つの問題に対して柔軟な思考を持つことが要求されます。

 

 

 

意見を持っている人が偏っているという見方は、人々が確かな意見を持つことを億劫にさせているのではないでしょうか。

 

 

私たちは恐れず意見するべきです。

一人一人違う考えを持っているし、違う性質を持っている。

 

 

 

意見をしないことは中立ではない。

 

 

 

 

私たちはもう少し考えなければならないのかもしれません。